冬期単独・知床半島全山縦走(1)海別岳~最初のイグルー
冬の知床半島を端から端まで縦走する……数年前、知床に移り住んだ際「ここで一番デカい山をやるならこれだろう」と思い描いた念願の山行が、2018年3月、好機を得てようやく実現した。(会社を辞めました)

ルート概念図
山行概要:
期間:2018年3月10〜23日(14日間)
- D1: 東十線除雪最終地点・入山→海別岳→糠真布川五の沢途中(C1)
- D2:C1→ラサウヌプリ手前の稜線(C2)
- D3:C2→ラサウヌプリ→陸志別川源頭付近(C3)
- D4:C3→遠音別岳南西の麓(C4)
- D5〜7:C4→遠音別岳南西麓・急斜面を上がったところ(C5〜7・停滞3日間)
- D8:C7→遠音別岳→知西別岳→愛山荘(C8)
- D9:C8→羅臼岳→三ツ峰→サシルイ岳→サシルイ岳北面(C9)
- D10:C9→南岳→東岳→ルサのっこし手前(C10)
- D11:C10→カモイウンベ川源頭Co862P付近のコル(C11)
- D12:C11→ポロモイ岳手前の尾根(C12)
- D13:C12→知床岬→ポロモイ岳手前の尾根(C13・C12イグルーを再利用)
- D14:C13→知床沼台地→ウナキベツ川源頭→クズレハマ川→相泊・下山
PT: 高橋
装備等:
- ATスキー一式、テントなし(イグルー泊)、ガソリンストーブ(赤ガス3.4L
- その他一般的な冬山装備一式
「知床半島全山縦走」とは、文字通り知床半島の中央を走る稜線を歩き、半島最先端の知床岬へ至る縦走である。どこを半島の付け根とするかは諸説あるが、今回は半島基部にそびえる海別岳を稜線の起点として、実働12日・予備4日、計16日間の計画を立てた。

入山(3/10 9:00)
まずは最初のピーク、海別岳を目指す。半島基部・峰浜地区のウナベツスキー場を過ぎた除雪最終地点から入山した。このルートは知床の山スキーではド定番ルートで、私も何度となく登っているので気軽なもんである。しかし気分とは裏腹に、初日なのでザックは重い。今回軽量化のためテントを持たず、食事は全てアルファ米にした。おかげで重いとは言いつつも、アルコールや本など嗜好品を含めても30kgを切っており、だいぶ楽である。

雲海の奥にお隣の斜里岳が見える。

行く手にこれから歩く山並が顔をのぞかせている。
森林限界を超えた辺りからガスり始めるが、稜線に出ると晴れた。雪は少なくガリガリに氷化しており、早々にアイゼンに履き替え板を担ぐ。海別岳のピークを踏んで、これから進む北東の稜線を見渡した。海別岳に登るたび(縦走するならこの先へ行くのか……)と眺めていた景色。とうとう踏み入ると思うと感慨深い。

アイゼンピッケルで少し降りて、滑走準備。
稜線は基本的にアイゼン歩行で、スキー板は担いでいる時間の方がはるかに長い。これでは不毛すぎて気が触れてしまうので、滑走が可能な場合はたとえ短距離であっても逐一滑ると決めていた。というわけで山頂から少し降りたところでスキーにはきかえる。重いザックに振られながら、氷の間の吹き溜まりを繋いで滑った(こんなんでも滑らないよりはマシである)。糠真布川五の沢の途中まで標高を下げて16:00、行動終了……ではなくここからがある意味本番。今夜の宿、イグルー建立開始である。

失敗した。
今回軽量化のためテントを持参せず、宿泊は全てイグルー泊とした。よってイグルーづくりは文字通り死活問題なのだが、私のイグルー制作経験は乏しく今回が人生3棟目である。案の定、完成したイグルーは、そのまま自分の墓穴になりそうな代物だった(屋根が上手くふけずスキー板で無理やりふさいだ。あと狭すぎて足が伸ばせなかった)。こんなクオリティの寝床で2週間生活したら死ぬのではと不安に襲われたが、中に入って富士山麓をロックで数杯呑むと即座にどうでもよくなり、なあにまだ始まったばかり、「イグルーづくりが生死に直結する」という状況に置かれ続ければみるみる上達するに違いない、と明日の自分に期待して床に就いた。

糠真布川五の沢を降りる。
翌朝、地吹雪で埋まったイグルーの入口を蹴破って這い出すと外は快晴。向かう先の稜線が朝焼けに照り輝いていた。まずはここから沢のボトムまで降りる。一日がスキー滑走から始まるなんて縦走マジ最高でしょこれ……等と思いながら板をはき、次なるピーク、ラサウヌプリを目指して滑り出した。
次回: 暴風雪停滞、イグルー引き籠り72時