網走山岳会 / Abashiri Alpine Club

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冬期単独・知床半島全山縦走(4)ルシャ山~最後のイグルー

   

  • D10:C9→南岳→東岳→ルサのっこし手前(C10)
  • D11:C10→カモイウンベ川源頭C862P付近のコル(C11)
  • D12:C11→ポロモイ岳手前の尾根(C12)

10日目。この日も好天に恵まれ、気持ちのいい稜線歩きになった。左に流氷浮かぶオホーツク海、右に国後島浮かぶ太平洋。最高である。山岳会の先達が「雪がいいとか悪いとかより、天気が一番よ」と言っていたのがしみじみ思いだされた。

しかしそんな好天も、東岳に差し掛かる頃には終わりを告げた。またも雲が稜線を覆ったかと思うと風が吹きだした。視界は10m程、東岳付近は地形が分かりやすいので構わないが、問題はそこから先、ルシャ山にかけての滑走である。ただでさえ視界が悪いところに、広くなだらかで地形的特徴の薄い尾根がいくつかに分岐している。ルシャ山に繋がる沢型を外さないよう、注意して滑り降りていった。

標高を下げて雲を抜ければ天気も多少はマシになるだろうと見ていたが、期待に反して天候は悪化していく。風がますます強まり、風向きは不規則になり、周囲360度から常時ドン、ドン、と突き飛ばされているような具合で滑りにくいことこの上ない。耐風姿勢でこらえ、風が弱まった隙に滑走、を繰り返す。

強い吹き下ろしに体が崩れた瞬間、手に「ピキッ」と嫌な感触が伝わった。ストックが折れていた。今回軽量化のため、ストックはフルカーボン製の凄まじく軽いものを用意したのだが、その分短命だった。バスケット周りに板のエッジが何度もぶつかり、削れて薄くなったところから折れてしまっていた。樹林帯まで降りてから、木の枝とテーピングテープで補修した。

雲の下に出て視界が回復した。

ルシャ山北東の台地まで来るとようやく雲の下に出られ、視界が開けた。ここからは尾根が細くなりルートを見失う心配はなくなる。その先の「ルサ乗っ越し」を目指す。

「ルサ乗っ越し」はその名の通り、かつてアイヌの人々が稜線を乗り越え、半島の東西を行き来する際に使ったといわれる、知床の稜線上で最も標高が低い鞍部である。風の通り道でもあり、半島にぶつかる風がこの鞍部に収束して吹き出すことから、一年を問わず強風が吹き荒れることが多い。特に夏、東の羅臼側からルサ乗っ越しを通り、西のウトロ側・ルシャ地区へ吹き降ろしてくる爆風は「ルシャの出し風」と呼ばれ、その周辺海域はシーカヤックはもちろん、地元漁師や観光船業者らも警戒する難所になっている。

ルシャ川の谷の先にオホーツク海が見える

視界は開けたが、相変わらず風は凶悪で、押されて何度か転んだ。雪は風に叩かれまくりで極度のバリズボ。標高が低いので尾根上にも木が密生しており、その尾根も細く急で、突っ切るにもトラバースするにも一苦労、と地味ながら非常につらく、遅々として進まない。乗越の手前で精魂尽き果ててヘロヘロになり、イグルーを作った。

その夜、疲労からか食後にうっかりうたた寝してしまった。夢うつつで妙に頭が熱い……ハッと一気に目が覚めた。頭が燃えている。寝ている間に、照明のロウソクに思い切り頭頂部を突っ込んでいた。半狂乱で火を払い、雪壁に頭を押し付けて消火する(こういう時にイグルーは便利である)。尻に火がつくなら分かるが、頭に火がつくとは……などと言っている場合ではない。きょうびアルシンドカットなんて下山後社会的に死んでしまう。空手バカ一代よろしく髪が生えそろうまでこのまま山で暮らすしかない。いやまず差し迫った問題として頭頂が凍傷になるどうしよう、などと今山行で一、二を争うレベルで思考と心拍が乱れたが、幸い燃えたのは保温着とインナーのフードまでで、髪は少ししか燃えていなかった。

翌11日目、再び稜線を歩き出すが、いよいよ立ち木が密になり、人ひとり通る隙間もないので諦め、北のルシャ川源頭へ降りて沢伝いに進む。Co349mポコ北東のコルから尾根に乗り、主稜線へ復帰した。相変わらずシールの効かないバリズボラッセルに喘いだが、標高が上がるにつれ徐々に歩きやすさはマシになっていった。この日もあまり捗らず、カモイウンベ川源頭、Co862mポコ西のコル付近でイグルーを建てようとした。

……。

無い。いやそんなはずはない。ザックをひっくり返して探す。やはり見つからなかった。

スコップが無い……(正確にはスコップのブレード部分がない)。

にわかに信じがたいが、スコップをどこかで落としたようだった。行動中に出した覚えがないので、昨日のイグルー周辺に忘れてきたとしか思えない。カッと頭に血が上り、毛穴が開いて冷や汗が滲んだのが分かった。スコップが無ければイグルーが建てられない。イグルーが建てられなければ、テントを持たない私にとって命取りである。そんな重要装備を置き忘れるだなんてどうかしている……昨晩頭が燃えた際と同等か.それ以上に心拍が乱れた。どうする。取りに戻るか。既に日は傾きつつあった。

ザックに腰を下ろし、白湯を飲んで行動食のフルーツグラノーラをバクバク食べる。時折出てくるフリーズドライのイチゴが美味しい……このイチゴだけ腹いっぱい食べたい。

現実逃避しているうちに脳に糖が回り、半分他人事めいた楽観的な気持ちになった。慌てようが落ち着こうが、とれる選択肢は少ない。今から取りに戻ったところで見つかる保証はなく、撤退・下山するにしても間も無く夜になる。そもそもスコップ一本無いぐらいで「詰み」なのか?まずは手持ちの道具でイグルーを作り、今夜一晩をしのぐ。その出来高で明日以降の行く末を判断すればいい。

それなりのものができた。

スノーソーとピッケル、それから手足を使って、イグルーを完成させた。こなれるまで時間はかかったが、スコップが無くたってスノーソーがあれば十分なんとかなる。なんだ、ビビって損したぜ……といいつつ、できあがったイグルーはかなり手狭で、足を延ばすと膝下から先が外に出てしまうような低クオリティだった。中で濡れものを着替えて寝袋を広げる余裕は無く、今夜は行動着のままで我慢することにした。一晩ビバークするぐらいなら問題ないだろう、と足はブーツを履いたままサバイバルシートを巻いた。形ばかりとはいえ、イグルーができたことで安心したのか、急速に睡魔が襲ってきて眠ってしまった。

寒さで目が覚めた。時計を見るとまだ20時過ぎだった。足の指を動かして、感覚があることを確認する。冷たいには冷たいが、凍傷にはなっていないようで安心した。再び眠ろうと目を瞑るが、体勢が悪いのと寒いのとで眠れない。眠れぬまま、夢か現かよくわからない妄想のようなものを見て、ガタガタ震えてまた目が覚める。時計を見るとまだ15分しか経っていない……これを何度も繰り返した。

かれこれ二十数回ほど繰り返した深夜3時、もはやじっとしているのも限界だったので出発準備に取り掛かった。イグルーの外に這い出して立ち上がると、両足裏にビリビリと痺れるような痛みが走った。指が動くので大丈夫だと思っていたが、足全体が軽度の凍傷にかかっているらしい。泣きっ面に蜂だが自業自得である。

よく本やなんやで長期の山行記を読んでいると、大体行程の後半に疲労が蓄積して行動一つ一つが雑になり、その結果判断を誤り、怪我をしたり装備を失ったりと不幸を招く展開が多いが、今まさに自分がその状況に陥っていた。元来私は適当な人間だが、今、平常時に輪をかけて適当になってきているという自覚があった。疲労のせいか、命に関わりかねない選択すら適当になりつつある。そうだ、疲れ果てるまで何かをしてはいけないのだ。下山したら今後は何事も疲れるまでやらないようにしよう(特に仕事とか)と心に刻んだ。ちなみにここまでほとんど画像が無いのは、写真を撮る精神的余裕がなかったからです。

太平洋に日が昇り、希望の朝が来た。

12日目、日の出と共に滑走開始。カモイウンベ川源頭のコルへ向かって滑走し、知床岳の台地の末端に取り付いた。いよいよここから先は、知床半島の先端部地域と呼ばれる最後のエリアである。人家はもちろん道路もなく、進めば容易にエスケープはできない。まずは知床岳の台地に上がり、北東に横断して知床沼を目指す。

稜線の先に知床岳のなだらかな山容が横たわる。

知床岳は知床半島の先端部地域に位置し、「知床」の名を冠しているが半島の主峰ではない。それどころか一切が藪に覆われ道がなく、むしろ冬の方がまだ登りやすいという、ある意味、知床の名に相応しいマイナーかつ難儀な山である。山頂周辺になだらかな台地が広がっているのに対し、台地周辺は急峻な谷に囲まれており、いい感じの斜面が沢山あるのではと個人的に期待していた。

そして期待通り、台地を横断する途中、素晴らしい斜面をいくつか見かけた。

国後島に向かってドロップする感じになる。Summit to Sea。(最高)

もう少しで台地を抜け、知床沼へ続く痩せ尾根に差しかかろうというその時だった。俯き加減で喘ぎ喘ぎ歩いてふと顔を上げ、景色を目にした瞬間、脳髄に電撃が走った。

海が繋がっている。

ここまで、私の正面には登るべき山が、辿るべき稜線が常にあった。正面の山と稜線によって、海は左手にオホーツク海、右手に太平洋と常に分かたれていた。それが今、左右の海が繋がり一本の水平線になっている。もはやここより先に、今私が立っている場所よりも高い山はないのだ。それは稜線の終わり、知床半島の終わり、そしてこの旅の終わりを予告していた。

「オァ゛ァ゛ァ──────ッッ!!!!!」みたいなよく分からない雄叫びを5回ぐらい上げた。どうせ半径数十km以内にいる人間は俺一人だ(多分)、誰にも遠慮はいらない。無性に笑えてきて、そのあと少し涙腺が緩んだ。山でこれほどまでの、腹の底から湧き上がり脳天まで痺れるような喜びを感じるのはいつぶりだろうか。実際の行程としてはまだ2、3日かかるが、既に何かが結実した手応えがあった。

回廊めいた細尾根を渡り、知床沼へ滑り降り、さらに進んでポロモイ台地へ渡った。ポロモイ岳手前の小さな雪庇にイグルーを組む。このイグルーが、今山行最後のイグルーになる。気合いを入れて作った。依然スコップは無いが、スノーソーがあればどうにでもなると学んだ今となっては些末な問題である。雪質の良さも手伝って、今まででもっとも広く、快適なイグルーに仕上がった。

ソリッドな仕上がりになった。

明日はイグルーに荷物をデポして、軽荷で知床岬へ向かう。流氷の海に沈む夕日を眺めながら、ビールの一缶くらい残しておけばよかったな、と後悔した。

次回最終回: 地の果てに刻む、最後のシュプール。知床岬〜下山

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