冬期単独・知床半島全山縦走(5/終)知床岬~下山
- D13: C12→知床岬→ポロモイ岳手前の尾根(C13←C12イグルーを再利用)
- D14: C13→知床沼台地→ウナキベツ川源頭→クズレハマ川→相泊・下山
13日目。荷物を整理してイグルーの中にデポし、出入口をブロックで塞いだ。以前羅臼湖のほとりに泊まった際、狐にイグルーの壁に穴を開けられ鍋の残りを奪われたことを思い出し、念入りに封をする。このイグルーを最終拠点に、日帰りで知床岬まで往復する。アタックザックに最低限の荷物を入れて出発した。
ポロモイ岳を越え、尾根を歩いていると日が昇り始めた。視界があればこっちのもの、滑走準備に取り掛かる。ハイマツとダケカンバが大分出ており雪もガリガリだが、これまで散々クソ重い荷物を背負って滑ってきた凹凸アイスバーンに比べれば、快適この上ない斜面である。このまま知床岬まで滑ってあっという間か、と思われたが、ウィーヌプリを過ぎた辺りから様子が変わり始める。尾根が狭まり、細かなアップダウンと密生する立ち木が現れた。
それは標高を下げるにつれて顕著になり、ルサ乗っ越し周辺と同じく地味な苦労を強いられた。尾根でバリズボ藪漕ぎか、尾根外で急斜面藪漕ぎかの二択である。結局最後は藪漕ぎとは、ある意味非常に知床らしい。
これいつまで続くのマジで……と心が折れかけた頃、尾根地形が終わりに近づいて立木が疎らになった。尾根上の雪が消え土が出始めたので、避けて東面の平地に滑り降りた。木漏れ日の中を進むうち、暑くてインナー一枚になる。風はなく、鳥の声がそこかしこから聞こえてくる。数時間前までいた氷雪の稜線は何だったのかというくらい、穏やかな世界が広がっていた。
ふと森の中に不自然な碁盤の目が見えた。これが何かはよく知っている。防鹿柵だ。
知床岬は昔からエゾシカの越冬地だったらしいが、1980年代からシカが爆発的に増え始め、岬周辺の景観が変わるほど植物を食いまくるという事態が起きた。対策として十数年前から環境省によるシカの捕獲事業がおこなわれている。今目の前にある金網の柵も、その事業の一環で立てられたものである。
久しぶりに人工物を見て、ありがちだが興醒め半分、安心感半分という感想を抱いた。人がいない場所に好き好んで立ち入っておきながら、人がいた痕跡を見つけるとホッとする。このマッチポンプは何なのか。鹿柵に沿って歩き、備え付けの階段を見つけて柵を乗り越えた。
防鹿柵からさらに進むと、木々の先に知床岬が覗いた。岬へは一段下がって斜面がある。これが最後の滑走かと思うと準備する手に力が入り、意味もなくバックル一つキツめに締めたりした。ザラメ一歩手前ぐらいに緩んだ雪を一気に滑り降り、森を飛び出した。
景色が一気に開けた。雪原が終わって笹原へ変わり、その先に淡い色の海が広がっていた。
板を担いで、枯れた笹原を知床岬の突端まで歩いた。見渡す限り、岬にはシカはもちろん何の生物もいなかった。突端で何枚か記念写真を撮ったあと、腰を下ろして行動食の残りを食べながら、海を眺めた。静かだ。磯の周りについた雪が音もなく波に洗われていた。
昨日既に知床岳の台地で盛り上がってしまったせいか、(本当に着いたな……何事もやれば終わるもんだなあ)と呆けた感想しか出てこなかった。誰かの本に書いてあった「ピークを踏むこと自体に大して意味はない」という言葉を思い出す。知床岬を目指して歩いてきたが、いざ念願の岬に着いても今ひとつピンと来ないのは、そういうことなのかもしれない。そして本の言葉はこう続く。「だが、この旅を山行という形にまとめるためには、ピークを踏む必要がある。」道中は先へ進むことばかり考えていたが、今岬に到達して「停滞中に食べた氷下魚が異様に硬かった」とか心底どうでもいい記憶が次々蘇ってくるのは、きっとそういうことなのだろう。
アブラコ湾に降りて浜の砂利を掘り、チョロチョロ湧いた水を跪いてガブ飲みした。湾の断崖を見ると、浜に向かって雪が付き小さな斜面になっている。
これはやらないわけにはいかない、と思い斜面を滑走した。滑ったと言っても10mの斜面で2ターンしただけという、氷下魚の硬さと同じぐらいどうでもいい話だが、そのどうでもいいシュプールは自分のこの山行にとっては大事なことのように思われた。
下山後のピックアップ依頼のため知人らに電話し(驚くべき事にアブラコ湾〜文吉湾周辺は携帯が通じる)、知床岬を後にした。今後また冬の知床岬を訪れることはあるのだろうか……などと感傷に浸っている場合ではない。これからイグルーまで戻らなければならない。
知床岬から下山地点の羅臼町相泊までのルートは二つある。一つは東の海岸線に沿って歩くルート。もう一つは尾根を登り返して知床岳まで戻り、沢を下るルートである。海岸線ルートを夏に歩いた経験から、中途半端に雪が乗っていたら巨岩帯やらなんやら色々大変そう、という理由で今回は後者を選んだ。
笹原から雪原へ、雪原から森へ、往路のトレースをそのまま引き返す。時間は既に13時を回っていた。ポロモイ岳のイグルーに着くのは何時になるだろうか……。
イグルーに着いたのは22時を過ぎた頃だった。ウィーヌプリまで戻ったところで日が落ち、天気が崩れ始めた。風雪に叩かれながら闇夜の中をひたすら歩くが、行動食も底を尽いてペースが上がらない。ゾンビのように歩いて、イグルーに着くなり中に上半身だけ突っ込んでそのまま小一時間眠ってしまった。いかんいかんと目を覚ました後アルファ米を普段の倍量食べ、明日は10時過ぎまで絶対起きねーぞと心に決めて寝袋で寝直した。
最終日14日目。昨晩不退転の決意で寝袋に入ったが、7時には目が覚めてしまった。ブロックの隙間から外の様子をうかがうと、夜からの悪天はまだ続いているらしい。どうせあとは下山するだけだし、というわけでとっとと標高を下げてしまうことにした。
視界20m、風はあるが歩行に支障なし。知床沼の台地へ戻り、台地のふちを目印に南東へ進む。南東の台地突端から滑走、ウナキベツ川源流域へ降りると雲の下に出た。風があっさり止んで、青空がのぞく。沢がところどころ開いており、ホーホケキョとウグイスの声がする。山に登っている間に下はすっかり春めいていた。振り返ると、雲の向こうに未だ厳冬の面構えをした知床沼台地の斜面が見え隠れしていた。
南のCo556m尾根を乗り越え、クラストとストップ雪を騙し騙しクズレハマ川中流まで滑り降りた。スノーブリッジを探して沢を渡るが、これもまた大分解けていて乗れるギリギリである。難儀はするが、進むにつれ春に近づいていく感じがして嬉しくなってくる。クズレハマ川とカモイウンベ川の間の緩やかな森にはスキーのトレースがついていた。ありがたく使わせてもらうと、あっという間に海岸に到着した。
随分遠くに行ったような気がしていたが、いざ降りようと思えば1日、あっけないもんである。目下の山が終わってしまうと「やりたいことやっちゃったし、仕事もやめちゃったしどうしようかな」という、リアルな山が隆起してくる。いまや何の役にも立たなくなった板を担いで海岸線を歩きながら、海の向こうにいい感じの山あるな……と国後島の白い稜線を眺めていた。あれを滑ったら捕まるだろうか。